ワールド・エクスプローラー [world explorer] 世界を拓く人

国連平和大使/動物行動学者 ジェーン・グドール博士

アフリカの森にすっくと立つ、ひとりのイギリス人女性がいる。ジェーン・グドール。凛とした横顔は、こちらを向くと柔和に微笑む。まるで、森の精だ――。人間にもっとも近い仲間、チンパンジーに魅せられた美しい女性が、私たちの見ている世界を変えた。
構成・文 江口絵理

チンパンジーが選んだ、「世界を変える人間」。

アフリカ、タンザニアのタンガニイカ湖。湖を行くボートからは痛々しい山肌が目に飛び込んでくる。伐採の跡だ。しかししばらくして、こんもりと緑が生い茂っている場所が現れる。ゴンベの森。ジェーン・グドール博士がチンパンジーのフィールドワークを始めた土地だ。
45年前、ゴンベのまわりはすべて緑の原生林だった。チンパンジーをはじめ、数多くの野生動物たちが生を謳歌していた。彼らの世界へとわけいっていったのが26歳のジェーンだった。
動物の研究者もなく冒険家でもないヨーロッパ人の若い女性が、アフリカのジャングルへひとり入って調査をするなど、無謀そのものだ。どんな危険な動物や未知の病気が潜んでいるかわからない密林。助けを求めようにも近くに都市はない。白人もいない。イギリス政府は、「ひとりでは危険すぎる」とストップをかけた。
しかしジェーンは、それで諦める気などまるでなかった。「母とふたりならいいでしょう?」と母ヴァンヌと一緒にアフリカへ向かう。ジェーンとヴァンヌをアフリカの奥地、ゴンベの密林に案内した現地の住民は、生きてこのふたりに会うことは2度とないだろうと思ったことを、後になって述懐している。
森には入ったものの、数ヶ月ものあいだ、人を見ればすぐに逃げてしまうチンパンジーに近づくことはできなかった。はるかかなたからしか眺めることのできないチンパンジーたちとの距離に落胆し、マラリアに苦しみ、成果を挙げられない自分をもどかしく思う日々が続く。
チンパンジーたちはしかし、自分たちの後ろを飽きもせずについてくる、この「白いサル」を徐々に受け入れる気になった。ちらりと視線を投げかけ、そのまま食事を続けるチンパンジーのグループ。ジェーンが隣に座っても嫌がらない雄もいた。ジェーンは、ゴンベのチンパンジーに受け入れられたのだ。
ある日、ジェーンは川のほとりで、あごに銀色のヒゲをたくわえた「白ヒゲのデイビッド」のそばに座っていた。脇に木の実が落ちているのに気づき、ジェーンは拾ってデイビッドに差し出した。
デイビッドはジェーンを見て、実を受け取った。そして、ぽとりとそのまま下へ落とす。その手をのばし、ジェーンの手にそっと触れた。「今はいらない。でもありがとう」。言葉は、いらなかった。
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