別府史之選手「ディスカバリーチャンネル・プロサイクリングチーム」
目覚め。
6月1日、世界中が注目するワールドカップのレースを「エース」として走ったフミは、13位という素晴らしい成績でゴールしていた。「このまま行けばプロは間違いない」と言われ、気持ちよく練習を再開したその翌日――。
チームメイトとフミはゆっくりと走っていた。ふと前から目を放した瞬間、前輪が側溝にはまり、フミの体は空中に放り出された。
「後のことは何も覚えてないんです。次の記憶は病院のベッドの上。『痛い』も『苦しい』もまるでない。自転車に乗って走っていたはずの自分がベッドに横たわって、流れ去っていくはずの景色が止まってる。それが、ただとにかく怖かった」
事故の現場にいあわせたチームメイトは、「フミはもうダメかと思った」と言う。フミの頬には、30針の傷が残った。
ショックはしばらく続いた。次に頭に浮かんだのは、3週間後に迫った全日本選手権(U23)のことだった。2週間はベッドから離れるなと医師に命じられた。そもそも包帯がぐるぐる巻きでは、出入国の審査を通してもらえない。
「でも、そこで諦めませんでした。まだ時間はある。3週間ある、って」
10日後、抜糸前にもかかわらず、フミは練習を再開した。濡らしてはいけないはずの頭の包帯を雨に打たせて、サドルにまたがり続けた。
「ここで自転車を辞めたら、この傷は『自転車で転んだ傷』で終わってしまう。笑いものです。でも、ここで続けて、そして結果を出して、これは『いままでやってきたことの勲章なんだぞ』って思いたい」
フミの渾身の走りは、2位に4分半もの差をつけた優勝という形で、実を結んだ。このケガを機に、フミは、レースの勝ち負けに対する情熱が根本的に変わった、と言う。
「ワールドカップで13位というのは、日本人としてだけじゃなくて、ヨーロッパの選手にとっても本当に大変な成績なんです。だからケガの前までは、ぼくも満足していた。でも、ぼくは世界で活躍するプロになろうとしているのだから、こんなところで喜んでちゃいけない。ぼくの舞台はもっと先にあるんだ、と思うようになったんです」
レーサー魂の「目覚め」。――勝たなければ意味がない。もっと前へ、もっと高く。フミの新たな挑戦が幕を開けた。


2005年4月に行われたフランスのレースでは、ヤン・ウルリッヒなどのトップ選手と走り、総合13位の成績を収めた。

ヨーロッパ各地で行われる数々のレースに出場し、着実に力を伸ばしている。