別府史之選手「ディスカバリーチャンネル・プロサイクリングチーム」
風を得た翼が、世界へと飛び立つ。
「それまでも、海外に行って走りたいなとはぼんやり思っていたんです。高校進学せずに海外に行くことも考えていたぐらい。でも、兄のフランス行きで、それが急に具体的な目標になりましたね」
兄が持ち帰るいろんな土産話。一つ一つが、フミを驚かせた。ヨーロッパと日本の自転車文化の違い、レーサーとしての意識のあり方、ペダリングのしかた、走り方……。日本にとどまっていては知ることのできない新しい世界が、そこに開けていた。
高校を卒業してすぐ、フミは日本のプロチームに籍を置く。監督は、高校時代に、「フミは絶対に世界で活躍できる。日本に残らずに海外に行くべきだ」と言ってくれた人だ。「海外で走りたい!」というフミの情熱と監督の気持ちが、フミをフランスのトップクラスのアマチュアチームに送りだした。
フランス、マルセイユのスターに。
フランス語はもちろんできない。とにかく耳で聞いて、間違いも気にせずに話しつづけた。最初の一年は、言葉の問題だけでなく、自転車の実力もおぼつかない。チームメイトはほとんど同世代で、世界各国から来ていたが、アジア人はフミ一人だけ。アマチュアとはいえ、すぐにでもプロになれるぐらいの実力の持ち主が集まっていた。
しかし、フミはみごとな適応力を発揮する。言葉がわかるようになり、練習にもなれてくると、実力はぐんぐん伸びた。日本では経験できなかったことを一気に吸収するため、伸びのスピードがほかの選手を上回り、数々のレースで誰もが目をみはる戦果を上げた。
地元マルセイユでは、すっかりスター扱いだ。フミの出たレースの結果は新聞に載るし、買い物に行けば、店員や客に声をかけられる。工事現場のおじさんも「フミー! 元気か?」と手を振る。自分が想像する以上に有名人である。
ところが、2003年6月。大事故がフミを襲う。


世界最強のプロチームで唯一のアジア人選手であるフミは、今もっともツール・ド・フランスに近い日本人レーサーだ。

ヨーロッパでは既に有名人のフミ。地元のファンにサインを求められることもしばしば。