坂本小百合園長「勝浦ぞうの楽園」
哲夢くんの遺した「夢」。
哲夢くんは亡くなる1カ月前、講演に出かけた。ゾウの飼育やトレーニングについての彼の話を聞くために、全国からゾウの飼育係が集まった。ここで哲夢くんは、日本で飼われているゾウたちがいかに貧しい状況に置かれているかを知る。12年間、鎖でつないだままという動物園もあった。
愕然とした哲夢くんは、帰って小百合園長にこう訴えた。――日本でゾウを飼っているところを回って、飼育についてアドバイスしたり、自分の知識を伝えたり、ゾウの気持ちを聞いたりしたい。ゾウたちがちょっとでも快適に暮らせるようにしてあげたいんだ、と。
「それを、私は聞き流してしまいました。そんなことをやっても一銭にもならないわよ、って。そうしたら哲夢は、休みの日だけでも行かせてほしい、と言うのです」
“日本で暮らすすべてのゾウを幸せにしたい。” それは、哲夢くんの「夢」となっていた。
哲夢くんが帰らぬ人となってから7年が経ったある日、小百合園長は、全国のゾウ飼育に携わる人々が一堂に会する「ゾウ会議」に出席した。テーマは「高齢ゾウ対策」だった。
最初に発表をした小百合園長は、老いたゾウは、餌が自生あるいは収穫できるような暖かく広い土地で余生を送らせるのがいいのではないか、と提案した。ところが、後に続く発表を聞くうちに、小百合園長は、自分の考えが他の人とかけ離れていることに気づいた。
ほかのゾウ飼育関係者の関心は、「歯が弱くなっているので餌をミキサーにかける」「痴呆が始まったのではないか」といった医学的な面にあった。高齢のゾウが安心してゆったりと暮らせる環境を作るというメンタルなケアについて物を言ったのは、小百合園長ひとりだったのだ。
ゾウの「楽園」を作ろう。
「そのとき初めて、哲夢の言葉が蘇って。あ、そうか、あの子が目の当たりにしたのはこのことかと思いました。なぜ、“日本中を回って、ゾウが暮らしやすい環境を作りたい”なんて言い出したのか、わかったんです」
「でも、私はゾウ使いではありませんから、哲夢と同じことはできない。自分に何ができるかを考えて、ゾウのリタイアメントに思いが至りました。4〜5歳で日本に来て、何十年も檻のなかで、コンクリの上で暮らしたゾウさんに、余生を土の上で過ごさせてあげようという運動を起こしたいなと思ったんです」
しかし、ゾウというのは行政や企業の持ち物だ。そこへおしかけて行って、リタイアさせろとは言えない。となると、一番困っているのは、動物園の閉園などで飼育しきれなくなったゾウさんのケアではないか。そこから、この「ゾウの楽園構想」が生まれた。

波打ち際を散歩するランディと哲夢くん

奈良の「花まつり千僧法要」に参加した哲夢くんとミッキー

人生のほとんどの時間を、ゾウとともに過ごした哲夢くん

日本のゾウたちにもっと良い環境を!……哲夢くんの夢は今も続いている