坂本小百合園長「勝浦ぞうの楽園」
ゾウと人との新しい関係。
ゾウたちと別れ、山の裏側に回った。そこには野菜畑が作られる予定だ。ゾウの糞を堆肥に使い、ニンジン、キャベツ、サトウキビなどゾウが食べるものを栽培する。この畑は「勝浦ぞうの楽園」を支える会員に開かれ、希望者が自分たちで世話をする。とれた野菜は、会員がゾウに直接手渡してやることもできる。
ゾウは、緑が覆う暖かい土地で、柔らかい土の上を歩き、そこでとれる自然のものを食べる。人間は、ここがゾウの静養地であることを理解したうえで訪れる。ゾウが安心して暮らせる環境が何よりも優先される、ゾウのための楽園なのだ。
「ゾウが、人間の勝手で連れてこられているのは事実です。だからこそ、人間だけが楽しむのではなく、ゾウが癒されることを考えたいんです」
小百合園長の強い意志が、勝浦の山々を背景にくっきりと浮かび上がる。
日本人初のゾウ使い、坂本哲夢。
小百合園長の息子、哲夢(てつむ)くんは、日本人初の少年ゾウ使いとして知られている。
動物プロダクションに初めてゾウがやってきたとき、小学校4年生だった哲夢くんは、この大きな動物に心を奪われてしまった。中学生になり、哲夢くんは単身タイに渡る。ゾウ使い養成学校で訓練を受けるためだ。
一年半に渡る訓練の後に日本へ戻った少年は、両親の飼うゾウの世話を通じて、本物のゾウ使いへと成長していった。とりわけアジアゾウのランディとはたしかな友情を育み、テレビ番組や全国各地のイベントで、華やかな活躍を人々の心に焼きつけた。
ゾウさんは“愛の動物”です、と小百合園長は語る。相手が人間であろうとゾウであろうと、いったん仲間だと認めたら、相手をいたわり、喜びを共にし、悲しみをわかちあう。哲夢くんとゾウたちは、たがいに心を通わせ、強い絆で結ばれていた。
しかし、突然の事故が、哲夢くんの命を一瞬で奪い去った。1992年11月10日。小百合園長の4頭のゾウたちはこの日、一斉に大きな鳴き声をあげた。見ると、みな同じ方向を向いている。その目からは涙が流れ落ちていた。
彼らが目を向けた方向のおよそ20km先に、哲夢くんがいた。ゾウたちが声をあげたのは、哲夢くんの乗った車がダンプカーと正面衝突したその時だった。ゾウは愛する仲間を永遠に失ったことを、その瞬間に察していたのだ。
ゾウは、死の概念を理解し、仲間の死を悼む動物でもある。群れの仲間が死ぬと、骨になった後までも、いとおしげに鼻で撫で続ける。哲夢くんを失ったゾウたちの悲しみは長く続いた。納骨の日、ランディは墓前で膝を折り、はらはらと涙を落とした。
享年20歳――ゾウを愛し、ゾウに愛された青年は、星になった。しかしその短い人生で、彼は大きな夢を描いていったのだ。

野菜畑の予定地。違法開発されて荒れたまま放置されていた土地だ。「いまは痛々しいけれど、生まれ変わらせなくちゃ」と小百合園長はぽつりとつぶやいた。

哲夢くん(右端)は、弱冠12歳で単身タイに渡り、現地の人たちと共にゾウ使いとしての修行に励んだ。

子ゾウのミニスターを連れてテレビ番組に出演する哲夢くん

哲夢くんとポーズをとる子ゾウのミニスター