ワールド・エクスプローラー [world explorer] 世界を拓く人

養老孟司先生「ひとと動物のかかわり研究会」

自分を自然と結びつける何かが必要だと思うんですね

----- 「里山」が、人と動物、人工と自然が共生できる現実的なバランスであり、実現可能なシステムということですね。
養老 そうですね。ただ難しいのは、ああいうものってやむを得ずできてきたわけですよ。長い時間をかけて。家は茅葺きだし、石油がないから山から薪を切ってこなきゃいけないし、炭も焼かなきゃいけない。家を建てる材料だって山から採ってくるしかなかったから、山を利用するいっぽうできちんと管理もしてた。それはルールでもあったんですね。
ルールといっても意識的なルールじゃなく、こうしなきゃダメなんだという必然性ででき上がってきたルールです。でも現在の管理はそうじゃないんですよ。思い通りにしようっていう管理なんです。
----- 手入れではなく、コントロールであると。
養老 そうそう。つまり公園の管理なんですよ。相手の都合を認めてないから。たとえば公園の緑地にしても、いろんな木の種を蒔いて生き残ったやつが勝ちっていうやり方をしてないでしょ?
最初から自然のルールを無視して、人間の都合で決めたものを植えるやり方をする。そうするとそこには人間側の必然性しかないんですよ。それを追求していくと「これが一番安い」とかいう、つまらない結論になる。それが本当に人間にとって都合がいいかどうかわからないんですけどね。
お金しか気にしていない人は木を切ることを何とも思わないんですよ。つまり、そういう人にとっては木が表している自然性は現実ではないってことなんです。
一番簡単な例が、たとえばゾウムシが歩いていれば僕は立ち止まって拾いますが、普通の人は止まりもしなきゃ拾いもしないんですよ。それでわかるのは、ゾウムシは僕にとっては現実だけど、普通の人にとっては現実ではないんです。ゾウムシが何らその人の行動に影響しないから。
それでさらに言うと、今の都会の人は現実がものすごく狭いんですよ。金に関わらなきゃ何もしない。それはお金だけが現実になっているということなんです。
----- ということは、まず我々に必要なのは、動物を含めた「自然」というものを身近に感じられる必然性なんですね。現実を広げるという。
養老 実は日本には自然が多いんですよ。杉林が多いんだけど、それでも森と呼べるところが国土の7割近くを占めている。しかもほ乳類にかぎらず、カエルからトカゲからヘビから、いろんなものがいるわけで、そんなことをわざわざ言わなきゃならないっていうのは頭が痛いんですが、そういう知識を持っている人が少なくなってきたのは事実です。
だって若い人は草や木やキノコなんかを全然知らないでしょ。触れる機会がないんですね。それ以前に「いま私が見ている木は何という木だろう?」という疑問すら起こさないんですもの。まさに必然性のなさですね。文脈がない。「知って何になるの?」でおしまいですから。
だからさっきのコウノトリじゃないんだけど、自分を自然と結びつける何かが必要だと思うんですね。たとえば鎌倉の海岸にはサーフィンやってる人が多いんだけど、ああいう人たちは海に関する知識を自然に手に入れてるはずです。それと同じように何らかの必然性を持たないと何も覚えられないわけですよ。
----- とはいえ都市に住む人が森や野生動物を身近に感じる機会は、やっぱり少ないですよね。ちょっと遠出をして山歩きをしたりキャンプをしたり…程度でしょうか。
養老 山歩きくらいじゃ普通は野生動物は見られないですね。よほど運がよくないと。日本じゃ鳥くらいでしょ。ウサギだって野生のは僕もほとんど見たことないですよ。スキー場で足跡を見るくらい。
野生動物を見たいってことならね、僕は1度くらいケニアあたりの国立公園に行くのもいいと思うんですよ。有蹄類の大きな動物は、動物園よりもむしろ野生の状態のほうが観察しやすいですからね。野牛なんかにしても、ケニアにはヌーが掃いて捨てるほどいるから(笑)。キリンとかゾウとか、うまくいけばダチョウくらい見られます。それは決して贅沢じゃないと思うんですよ。
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