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古代エジプト史伝説の美女、王妃ネフェルティティと思われるミイラディスカバリーチャンネル調査団により発見

2003年6月9日

〜西洋ではクレオパトラと並ぶ美の代名詞"王妃ネフェルティティ"。謎に満ちた王妃のミイラが、エジプト学者ジョアン・フレッチャー博士率いる調査団によって発見された〜

ベルリンのエジプト博物館にある、王妃ネフェルティティの美しい胸像 古代エジプト王族の墓地であるルクソールの

古代エジプト王族の墓地であるルクソールの"王家の谷"、35号墓の中で発見されたネフェルティティのミイラ(写真右)、ベルリンのエジプト博物館にある、王妃ネフェルティティの美しい胸像(写真左)

世界最大のドキュメンタリー専門チャンネル「ディスカバリーチャンネル」はこのほど、エジプト学者ジョアン・フレッチャー博士率いる調査団が、ネフェルティティのものとみられるミイラを発見したことを正式に発表しました。異端の王と呼ばれたイクナートン王(アクエンアテン、別名アメンホテプ4世)の后であり、共同統治者でもあるネフェルティティは、これまで何かと物議を醸してきた紀元前14世紀のアマルナ時代に権力を握っていた人物で、3000年もの間ヴェールに包まれていた。ディスカバリーチャンネルのサポートを受けた調査団は、考古学の専門知識と最先端デジタル技術を結集させ、ネフェルティティの発見と検証を試み、今回の大発見へと結びついた。

尚、ミイラ発見の映像から各調査の詳細については、今年9月にヨーロッパ・南米・アジア・インド各地で世界同日放送予定のディスカバリーチャンネル特別番組『ネフェルティティ復活』で、余すところなく紹介する予定です。

「遠くから来た美女」を意味する"ネフェルティティ"。
彼女の存在は古代エジプト史の大きな謎のひとつであった・・・

大発見へとつながる調査は2002年6月に始まった。古代エジプト王族の墓地であるルクソールの"王家の谷"、35号墓で発見されたばかりの側室に、ヨーク大学ミイラ研究班のフィールドディレクター、フレッチャー博士が初めて訪れた。ミイラ制作技法の第一人者であり、古代エジプト人の毛髪研究を専門とするフレッチャー博士は、ここに残されていたかつらがヌビア様式のものだと気づいて興味を覚えた。その訳はヌビア様式のかつらが、第18王朝イクナートン王の時代に、高貴な女性が好んで身に着けていたものだったからだ。このかつらが発見されたのは、正体不明のミイラ3体のそばだった。謎のミイラのうち1体は実に印象的な顔立ちで、その首筋はまるで白鳥のように美しかった。顔面には、死後に加えられたと推察される暴行の傷跡があるものの、それでもなお、かのネフェルティティに比肩するほどの美女だ。

2002年6月、考古化学の世界的な権威でミイラ制作技法にも詳しいスティーヴン・バックリー博士が調査に訪れる。防腐保存処理の技術がどのようなものだったかを確認するとともに、ミイラを包んでいた布などの材質を分析するためだ。その結果、3体のミイラは第18王朝の時代に葬られたものと判明した。やはり、あの謎の時代、ネフェルティティがいたアマルナ時代である。カイロ古代エジプト博物館の人類学者サミア・エル=メルガニ博士も後に、3体のミイラがアマルナ時代のものと裏づけている。

発見されたミイラをネフェルティティと裏づける数々の物的証拠とは・・・

フレッチャー博士はさらに、王妃ネフェルティティにつながる数々の物的証拠を見つけだした。額飾りをきつく締めていた跡がミイラの頭にはっきりと残っていることから、王族だということがわかる。そのほか、ピアス穴を2つ開けた耳や、剃り上げた頭。ネフェルティティの肖像が破壊されていたのと同様に、遺体もかなり損傷を受けている。また、カルトゥーシュ(王名標)がないのも、王族としてはきわめて異例だ。古代エジプト人は死後の世界で第2の人生を送れると信じていたが、この3人は王族の身でありながら、復活の道を意図的に閉ざされていたらしい。このことは、アマルナ時代の宗教改革にネフェルティティが関与したという史実にも合致する。イクナートンとネフェルティティはアメン神を主神とする多神教を廃止し、アトン神を祀る新しい宗教の育成に努力したが、この宗教改革は後に、有力なアメン神官によって覆されてしまったのだ。

2003年2月、多分野の研究者からなる調査団はディスカバリーチャンネルからのサポートを受け、再び35号墓を訪れた。ミイラの防腐処理方法をさらに分析し、研究を進めていくうちに、遺体からもぎとられていた右腕を発見した。腕の曲がりかたは王の身分を表すものだった。見つからずじまいの王笏を持つような具合に指も曲がっている。キャノン社製の最新式X線デジタルカメラを用いて、ミイラをその場で調べたところ、新たに多くのことが判明したのだ。3体のミイラのうち、2体は成人女性で、残る1体は男の子だった。また、一方の女性の胸腔は叩き潰されており、中から装身具が発見された。この女性がネフェルティティではないかという当初の考えは、こうした証拠によって、いっそう強く裏づけられた。

フレッチャー博士

古代エジプト史の権威、フレッチャー博士は、次のように語っている。「あのミイラを初めて見た瞬間、まさか、と思いました。12年以上もネフェルティティを探し続けて、やっと見つけたのです。わたしの人生で最高の経験かもしれません。この発見はきっと、エジプト学に幅広い影響を及ぼすでしょう」

3000年もの間神秘のヴェールに包まれていたネフェルティティとは、どんな人物だったのか・・・

ベルリンのエジプト博物館にある、王妃ネフェルティティの美しい胸像。この石灰岩の彫刻は、古代エジプト史上、特に有名な像だ。だが、ネフェルティティの人物像はおぼろげにしか判明しておらず、3000年あまりも神秘のヴェールに包まれていた。

"美女は来たりぬ" もしくは "完璧なる人は来たりぬ" という意味の名を持つネフェルティティは、夫であり共同統治者でもあるイクナートン王とのあいだに6人の娘をもうけている。そのうち何人かの娘と母后ネフェルティティは、イクナートン王の統治下で、並外れて高い地位に就いていた。王宮に麗々しく描かれた肖像から、ネフェルティティと娘たちが儀式で主要な役割を果たしていたことがうかがえる。かつては王だけの務めだった生贄の儀式までも執りおこなったようだ。アトン神を奉じ、アメン神官を迫害したイクナートン王に、ネフェルティティが大いに影響を与えたことは間違いない。だからこそ、王妃の死後、ふたりの名は歴史から抹消され、ネフェルティティの肖像も破壊されてしまったのだ。

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