セレブリティ・コメント
ディスカバリーチャンネルはこの偉業を心より喜び、お祝い申し上げます。
これまでに数々の冒険に挑んできた三浦雄一郎さんの登場です。番組について、そしてご自身の挑戦について語っていただきました。(2007年・春)
三浦 雄一郎(プロスキーヤー、冒険家)
「エベレスト登頂:極限への挑戦」を見て
地球上でもっとも高い地点、エベレストの頂上へ向かう道は、これ以上ない極限の世界です。番組の映像ではその厳しさ、人の生と死のドラマが、これでもかというほど克明に、リアルに映し出されていました。
登る者が地獄の世界に迷いこんで、生きるか死ぬかの瀬戸際を歩き、そこからどう生還するか― これは自然のなかの壮大なドラマですね。
地球上でもっとも高い地点、エベレストの頂上へ向かう道は、これ以上ない極限の世界です。番組の映像ではその厳しさ、人の生と死のドラマが、これでもかというほど克明に、リアルに映し出されていました。
登る者が地獄の世界に迷いこんで、生きるか死ぬかの瀬戸際を歩き、そこからどう生還するか― これは自然のなかの壮大なドラマですね。
その極限の世界をいろんな人が切り抜けていく。両足がなく義足だったり、バイクの事故で体じゅう金属が入っていたりという人も、いろんなハンディを背負いながらも、それを超えてみたいという思いで挑んでいました。

2003年 エベレストへ向けてトレッキング 右側がエベレスト
それを見てあらためて、「こんなことが人間にできるのか」と、人間の可能性の広がりを見るような気がしました。ほんとに心にじんと来るものを見せてもらいました。
それにしてもよく、あれだけの映像を、あの難しい状況で撮られているものだと思いますね。カメラマンには、登るだけでなく、カメラを回すという困難がある。
空気もなく、寒く、強い風が吹くというきわめて厳しい状況で、そうでなくても毎日が生きるか死ぬかのなかでのクライミングです。映像でもじゅうぶん伝わっているとは思いますが、僕自身コースは違っても現場を知っているものですから、苦しさがよみがえってきましたよ、来年挑戦するのが嫌になるくらいに。(笑)
エベレストに登るということ
高度7000〜8000mまで上がれば、「デス・ゾーン」といって、酸素が下界の30%ほどしかない、生き物を寄せつけないエリアになります。人が何日生きられるか、何分生きられるか、という世界です。そのなかで、登ろうとする人間は、じっとしているだけじゃなくて、より困難なクライミングを要求されて頂上を目指す。あるいは、そこからどうやって生きて帰るか、ということを要求されます。

2003年5月22日 エベレスト山頂
左が三浦雄一郎さん 右が次男豪太さん
デス・ゾーンで人間の体にどんなことが起きるかというと、一番大きなことは、酸素が少ないために、体を動かせなくなる。僕の実感としては、悪性インフルエンザにかかったような感じですね。
熱が40度を超えていて、ベッドに横になっていても苦しい、寝返りを打つのも苦しい。「このまま死ぬんじゃないか」というような、生命の危機を感じる状態。寝ていても苦しいのに、起き上がるどころか登らなくてはいけない。
登るとなれば、オーバーシューズを履いて、アイゼンつけて、荷物背負って、総重量は25kgぐらいになるわけです。東京の街で、同じ重量つけて、ビルの10階まで登るのでも大変ですよね? それを悪性インフルエンザで、酸素の薄い呼吸困難の状態でやるのがエベレスト登頂です。

2003年5月22日 山頂へ向かう三浦雄一郎さん
人間の場合、血液中の酸素濃度が40%以下になると、生存不可能と言われています。われわれが8000mでキャンプをしていて、夜、はっと目が覚めて、血中酸素濃度を計ってみると、30%に近づいている。ですから、寝ていても生きるか死ぬか、ぎりぎりの世界です。
心臓や呼吸器が専門のお医者さんに言わせると、それは当然、医学の常識を超えていて、死んでいても不思議じゃない。
エベレストの頂上では、20歳の登山家の肉体年齢が90歳になると言われます。そうすると僕の場合、70歳で登ったわけですから、プラス70歳で140歳。まず、その歳で生きている人がいない。ましてや、エベレストの頂上にいることも不可能だということになります。
でも、今の科学の常識のなかで、そんなこと不可能だ、というものを超えた世界がエベレストの頂上なんです。病院にいれば、心電図、脳波、血中酸素濃度の数値すべてが、「ご臨終です」と医者が判断するような状態で動いているわけですね。「この世」と「あの世」が互い違いに現れ、次の一歩がどっちへ行くか、次の一歩がかろうじてこの世にしがみついているかという世界です。
頂上へと駆り立てる情熱
エベレストのような極限の世界では、これ以上行ったら生きて帰れないという状況もあるし、肉体的にはもう限界だということもあるでしょう。そのときにはチャレンジをやめるという決断ができなければいけない。ただ、誰でも目の前に、あと何百メーターとか、あと50メーターというところにエベレストの頂上が見えていれば、やっぱりどうしたってそこまで行きたくなる。そのために来ているわけですから。
「なんとしても頂上へ」という情熱があって初めて頂上に到達できるんですが、行くべきか戻るべきかの判断ができなくなることもあります。それがサミット・フィーバー(登頂熱)というものですね。

北京の中国登山協会にて李至新副主席と2008年のチョモランマ登山遠征許可の「議定書」を取り交わす。
デス・ゾーンは肉体的にもほんとうに苦しいですし、みんな、登頂には死と隣り合わせの危険があることは承知のうえで挑んでいます。たぶん、そういう極限の状況で、脳のなかで、脳内モルヒネとも呼ばれるエンドルフィンが強烈に作動して生存の本能を上回っていくのではないかと思いますね。
下界ならば「火事場の馬鹿力」と呼ばれて、普段はできないことができてしまう。ただ、エベレストでそれを誤って使えば、それはそのまま死につながります。
この番組では、隊長のラッセル・ブライスがちゃんと判断をして「これ以上は無理だ。戻りなさい」と伝えていますが、サミット・フィーバーにかられると、登山家たちは危険を無視して突入してしまう。それが悲劇の始まりなんです。登頂はまさに生きるか死ぬかの決断。「to be, or not to be」、頂上近くのハムレットです。
僕の場合、たしかに2003年のときには頂上のすぐ下で2日間足止めになったり、いざアタックを開始したら、登る人で大渋滞が起きたりと危険はたくさんありましたが、一番大きな生命の危機は、トレッキングでペリチェへ行く途中の標高4200mにあるバッティ(茶屋)へに向かっているときのことでした。ひどい不整脈が起きて、一瞬気を失ったんです。
脈拍が計測不可能なほどで、もはや、気づいたら、カトマンズの病院の白いシーツにくるまれ、あの世にいたということになるのか、と思うほどでした。やっと回復しても、ほとんど歩けない、動けない。それをだましだまし、やっとバッティまで着いたんです。
でも、まだそこはせいぜい4000mですから、これが8000m超えてから起こったらどうなっていただろう、と思います。
つまり僕は、ベースキャンプよりずっと下で、生きるか死ぬかの目にあっていたわけです。だから、8000mまで行ったら、「あ、まだ心臓がふつうに動いてくれてる」とうれしくて。結局、5000mを超えたら、頂上付近かいなかに関わらず、人がいつ死ぬか予測つかないんです。
2008年、再びのアタック
僕自身も2008年、番組で登っていたのと同じコース、北東稜ルートの登頂を計画しています。ちょうど北京オリンピックの年で、聖火ランナーが頂上に聖火をあげる5月15日がターゲット・デイです。それに向けてトレーニングをしているんですが、実はいま、ふつうの 75歳の人よりもまだコンディションが悪いんですよ。不整脈がさらにひどくなって、手術をして、いまはまだリハビリ中なんです。
でも、4月にはエベレストの前にそびえている6200mのアイランド・ピークへトライしてみて、体の具合、おもに心臓の具合を確かめようと思っています。だめならもう一回手術しなくてはならない。そうなれば、エベレスト登頂までもうあと一年ですが、もう一回ゼロから準備です。
僕は 70歳で登れましたが、果たして75歳でできるかどうかはわからない。5歳なんてわずかのように見えますけれども、70歳と75歳はずいぶん違うんです。それに、不整脈が悪化して手術をして、これでまたハンディキャップをしょいましたので、かなり厳しい状況だとは思います。でも、いろんなふうに工夫してそれを超えていきたい。両足なくたって登った人がいるんだから、人間っていろんな可能性があるじゃないか、そういうことを自分に言い聞かせて、トライしていきたいですね。
なぜ山なのか、なぜエベレストなのか
もともと人類っていうのは、山を越えて生きてきたんですね。人間の誕生以来、「あの山の頂上に登ったら何が見えるだろう」「山の向こうにはなにがあるんだろう」という好奇心と、そこへ行ってみたいという願望を、われわれ人類は遺伝子のなかにもっている。僕はそれにスイッチが入っているということだと思います。
マラソンのような、あんな苦しいことをなぜするかといえば、たしかに辛く苦しいけれども、それが好きだからやっているわけですよね。すばらしいからやっている。山に登るのも同じことです。
8000mまで登った、あそこに頂上が見える!というときの感動。でも、不思議に、頂上が近づけば近づくほど、到達するまでが遠くなるんですね。永遠に近づき得ないような。僕の場合、70歳を超えて一歩ずつ、この世界でこれができるんだということを積み上げて、自分に対するプライドとして育んできた。と同時に、たしかに苦しいけれど、苦しさのなかに、素晴らしいこと、すごいこと、感動することがいっぱいあるんです。ただ苦しいだけでやめず、これを超えてこそ、「生き抜く力」が生まれるのだと思っています。
たしかにエベレストは、映像を見ても、自分で登ってみても、すごく厳しい、この世の地獄を超えていかなくてはいけない山ですけれど、しかしまた、「天国」にも近いんですよね。
「天国」と「地獄」を代わる代わる旅できるというのは、人生で滅多にないことです。
地球上にこれ以上ない山にトライするというのは、考えただけでもわくわくするし、この前できたからといって、もう一回登れるという約束はない。だから自分の未知の可能性を世界最高峰にぶつけてみたい。自分自身の人生で最高にエキサイティングなイベントなんです。
取材・文 江口絵理
ディスカバリー・モーメント
さまざまな分野で活躍する著名人に“発見”や“ひらめきの瞬間”を語っていただくWEB限定コンテンツ「DISCOVERY MOMENT」にて、三浦雄一郎さんのインタビューを公開中です。
三浦雄一郎さん 春のヒマラヤ遠征に向けて出発!

アイランドピーク登攀風景 2001年
2008年、世界最高齢となる75歳でエベレスト登頂を目指す三浦雄一郎さん。世界記録更新となる1年後の大きな挑戦に向けて、2007年4月25日(水)、24日間のヒマラヤ遠征(アイランド・ピーク)へと向かいました。
当初はヒマラヤのメラピーク(6467m)を予定していたところ、医療データなどを送る通信体制が不十分となるため、ヒマラヤのアイランド・ピーク(6189m)に変更。遠征登山者の多くが登る山でもあり、トレッカーたちで賑わうアイランド・ピークにてトレーニングを行いました。

アイランドピーク山頂 2001年
